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大将のひとりごと

岐阜県岐阜市の出前すし専門店 あっと鮨 です。 ここでは、ホームページ内ではご紹介し切れない おすしの話や、大将の日常を、綴って参ります。

   

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すしの歴史6~すしの多様化、現代のすし~

 江戸時代の頃から始まった握りずし、

そのころのネタに、生のものが無いのは

想像がつくことでしょう。

酢じめ、昆布じめ、づけ、煮しめなどの

現代のすし店の基本的な仕事のほとんどが、

このころ考案された仕事です。

生ネタが、お目見えするのは明治時代に

なってから、特に氷冷蔵庫が出現する

明治30年代には、生ネタを長時間保存

できるとあって、生ものオンリーに拍車がかかり、

すし本来の保存食的性格は、次第に忘れられて

電気冷蔵庫、冷蔵ネタケースなどの普及によって

現代のようなすし店の形が出来上がって

いったようです。

 そしてさらに、1980年代頃には、アメリカをはじめとする

海外での「すしブーム」、

90年代にはすしロボットの出現により

これまでは熟練の職人の仕事であった

「すしを握る」という仕事が機械でも行われるようになり、

スーパーマーケットや回転寿司店

などで大量に生産されるようになってきました。


 すしの多様化が進み、

「すし」という食品に対する消費者の

価値観も大きく違うようになってきた現代、

今後も進化し続けるであろう「すし」にたづさわる一人

として守るべき仕事は守り、新しい仕事も受け入れつつ、

すし文化と共に歩んで行ければと願います。




















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節分を終えて、、

 毎年恒例となってきた節分の恵方巻

年々知名度も上がり、コンビニ、スーパー

回転寿司店、個人の寿し店など、その選択肢も

どんどん多くなってきてる中

リピーターのお客様を中心に、たくさんの

ご注文をいただけ、厚く御礼申し上げます。

 なかでも、日ごろお世話になっている

業者関係の方々には毎年お付き合い

いただいて誠にありがとうございます。

 3日の午前1時30分頃から巻き始めて、

午後の5時ごろまで約16時間、黙々と

恵方巻を巻き続けました。

徹夜仕事には、慣れてはいるものの

次の日がかなり辛いのは

歳のせいでしょうか、、、

 ともあれ、大きな年間行事の一つを

無事に終えることが出来て、ほっとしている

次第です。

 来年もまた、よろしくお願いします。




 

アメリカの友人

 今日は、アメリカで働いていた時の

友人を紹介したいと思います。

彼の名前は、Tony Clark(トニー  クラーク)

今から20年ほど前の話になってしまいますが、

私が働いていたSushi Barで働いていました。

当時、彼はフロリダ州立大学の学生で、

日本の文化や、音楽に興味があって

尺八が上手でした。

その後、母国ドイツへ帰り、音楽活動をしている

と聞いていたので、

先日、MySpaceで調べてみたんですが、、、

やっていました。

現役バリバリのミュージシャンでした。

よかったら見てやってください。

http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=156779761

彼が演奏する尺八、日本の音楽はこちらで聴けます。

http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewProfile&friendID=222286237

 今では、時々メールのやりとりをする程度の

付き合いですが、遠い国でがんばっている

友人を陰ながら応援したいと思います。








すしの歴史5~早ずし、そして江戸のすし~

  下等な食べ物とされていた熟れすしが、

生成れのすしに進化を遂げ、

将軍家が召し上がるほどのご馳走に出世して

すしが有名になりはじめると、熟成を待たずに

食べられるすしが、要求される様になってきました。

魚や飯、あるいはその両方に酢を混ぜる事により

熟成を助けた、早ずしです。

早ずしの誕生が、箱すしや、後の握りすしへの

発展の大きな役割を果たしたようです。

江戸時代のはじめごろ、大阪より広まった

とされるコケラずし(箱すし)が流行り、

すしは庶民のもとへ戻ってきました。

同じ頃、揚げ豆腐を

使った稲荷すしも流行していたようです。

そして、

いよいよ握りずしの登場となるわけですが、

握りずしの起源説は数多く存在するようなので

一般説として

文政の初めごろと言っておきます。

その後、江戸のすし屋のすべてが、握りずしに

転向していったようです。

その頃のすし屋の様子は、今で言う 「ファーストフード」

たこ焼きやさんのように、屋台で売られて、

すしを串でさして食べていたようです。

もちろん店内食の店もあったようですが、

屋台のお店が、庶民的で、主流だったようです。

屋台のお店で、お客がすしを立ったまま食べていたのは

容易に想像できますが、握り手のすし屋の方は

座ってすしを握っていたそうで、そのスタイルは

昭和のはじめごろまで続いたようです。


           次回 すしの多様化、現代のすし








高山旅行 2

 IMG_1259.jpg              
 高山旅行の二日目の朝は

 宮川の朝市からスタートです。

 平日のこの時期という

 こともあって人もお店も

      少なくて、ちょっと寂しい朝市でした。

IMG_1261.jpg 朝市で、お漬物などを

 買っていよいよスキー場へ

 向かいました。
  

 山頂から見た乗鞍岳    高山から車で約20分で行ける
  
                 モンデウス飛騨位山スキー場です。
   
 天気はくもり、

 風は無く、 まずまずのコンディションです。

 午前11時ごろから滑り始めて午後の3時ごろまで、

 リフトに17回乗ったほど、滑り続けました。

IMG_1264.jpg 娘もスキーは5年前から

 やっているので

 地元のスキーっ子のように

 ガンガン直滑降で
             
              滑って行きます。
IMG_1266.jpg
 因みに妻は、

 スキーはやらないので

 車の中で寝ていました。

  午後4時ごろにはスキー場を後にして

  家路へと向かいました。

 それにしても今回の旅行は、どこへ行っても

空いていてちょっと寂しいくらいでしたが、

どこへ行っても歓迎されて

なんだか得した気分の旅でした。

 
 そうそう、ホテルの露天風呂に入っているときの

事ですが、誰もいなくて貸切だ~!と

張りきって入っていくと先客が一人

「今日は空いていていいですね~」と声をかけると

「No Japanese」と返されてビックリ!

「so Can you speak English?」とたずねると、

「a little」という事だったので少し話したんですが、

台湾からの観光客でした。

5歳の息子さんをおばあちゃんに預けて、

奥さんと友達夫婦の4人で遊びに来たそうです。

今回が2度目の来日で、

日本が大好きだと言ってみえました。

最近こうしたアジアからの観光客の方が

本当に多くなりましたね。

ホテルの宿泊客もほとんどが外国人

だったように思います。

日本という国の力が弱くなったな~と感じるのは、

私だけでしょうか、、、

とはいえ、

日本が大好きと言われて悪い気はしないですよね。

 話がそれてしまいましたが、

無事に高山旅行を終えて

気分もリフレッシュ 

また仕事と家事?にがんばります





 



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